こころとからだ

ヨガと心理学について学んだこと、感じたことをまとめていきます。

身体の声を聞く

こんばんは。

 

今日のアシュタンガのレッスンはとっても心地良かった。(*'ω'*)

先生のガイデッドと自分の動きがマッチしていたように思います。

心静かに淡々と粛々と身体の声を聞けたように思います。

うん、楽しかった。🌠

 

 

このように身体の声を聞けるようになった私ですが、

ヨガをはじめた8年前はまったくダメでした。

 

身体は常にメッセージを発っしてくれていたと思いますが、

聞く耳を持たず、

アサナをつくる時も、

自分で自分の身体に命令をしていました。

 

適切な負荷をかけるとアサナは上達しますが、

心地よさは得られません。

 

アサナの完成度をこっそり誰かと見比べて、

こっそり優越感に浸ったり、こっそり落ち込んだり。

 

よく考えてみると、

他人とのコミュニケーションも似たようなところがありました。

なんやかんやいい人を演じながらも、

人をコントロールしようとしていたかもしれません。

 (◞‸◟)(◞‸◟)(◞‸◟)

 

 

ヨガ仲間にこんなことを言う人がいます。

「からださん、ありがとう」

その方の口癖のようです。

 

 そうですね。

「からださん、ありがとう」ですね。

パクらせていただきまーす。

 

心はなぜ傷つくのか

 

こんにちは。 ('ω')ノ

雨が降ってきました。

アスファルトや街路樹が気持ちよく濡れてゆきます。

雨音を聞きながら午後を過ごすのもいいですね。

 

☂ ☂ ☂ ☂

 

さて、

以前、私はこんなことを思っていました。

 

心が傷つくのは自分が弱いからだ。

強くなれば傷つかない。

傷つかなければ恐れずに進んでいける。

 

でも、

頑張っても頑張っても心は傷つきます。

元気なふりをして装ってみても、やはり心は傷つくのです。

周囲を見回しても、みんなちょっとした言葉や態度で傷ついています。

 

 

ふと、思いました。

 

本当に弱いから傷つくのか…。

傷つくことは悪いことなのか…。

 

違いました。

 

「傷つく」という心の作用があるから、

私たちは学ぶことができます。

傷ついて、しゅんとして、しょぼんとして、

自分の行いを顧みるのです。

そして、 自分の問題、他人の問題を整理します。

 

整理することで、起こった出来事を受け入れ、

前に進んでいくのだと思います。

 

ではまた。

('ω')ノ

虐待についてのお話し

おはようございます。

今日の予想最高気温は32度!

暑い一日になりそうです。

ふーです(^_^;)

 

さて、先日、酪農学園大学の須賀朋子先生が

「暴力、体罰、虐待、DVが子どもの脳と心に与える影響」

というテーマで講演会をしてくださいました。

大変興味深いお話でした。

どんなところが興味深いかというと、

例えば、

・幼児期に生虐待を受けた子どもの海馬の容積が8.1%減少。

・小児期に暴言虐待を受けた若い成人21名と、健常成人19名を比較したところ、

 暴言虐待を受けた人の側頭葉の聴覚野に傷があり、14.1%たんぱく質が増加し

 ていた。

(上記は欧米のデータです。すべての被虐待児がこのようになるわけではありません)

 

このような調査を行うためには被験者になってくれる人が必要ですが、

日本では人権保護の観点からこのような調査はできません。

ですから、こういったデータが得られることはとってもありがたいことです。

被験者のご苦労を忘れてはいけないと思ってます。

 

そしてもうひとつ大事なこと。

どのようにケアすればいいかということ。

 

須賀先生が仰るには、

自助グループなど、安心安全が守られる場所で思いを語ること。

また、瞑想、呼吸法、ヨガ、アロマが効果的なことがわかっているそうです。

 

残念ながら、ケアについての詳しい説明はありませんでしたが、

瞑想やヨガの研究を深めて、

いつか回復プログラムにつなげられたらなぁって思います。

( ˘ω˘ )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平安の祈り

 

神様

 

わたしにお与えください

自分に変えられないものを

受け入れる落ち着きを

 

変えられるものは

変えていく勇気を

 

そして二つのものを

見分ける賢さを

慈悲の瞑想2(嫌いな人々について)

こんにちは(^^)/

今日も素晴らしい青空です。

 

🌻🌻🌻🌻🌻

 

 

さて、慈悲の瞑想のなかにこのような言葉があります。

 

「私の嫌いな人々も幸せでありますように」

「私を嫌っている人々も幸せでありますように」

 

瞑想をするときに違和感を感じたら、

言葉の置き換えをしててくださいと前回の記事に書きました。

 

例えば、

「私の嫌いな人々」を「私」にしたり、

「私を嫌っている人々」を「私の親しい人々」にしたり。

そして、自分を評価したり裁かないことが大事です。

 

ある心理学の先生によると、

「すべての人を好きになることはできない」

のだそうです。

理由をお聞きすることはできませんでしたが、

私なりに考えると、

人は多様な生き物で、考え方も多様だからだと思っています。

 

自分と違う部分を尊重できるといいのですが、

当然葛藤が生まれるでしょう。

それで良いのだと思います。

 

( ˘ω˘ )

 

 

 

 

慈悲の瞑想1

こんにちは。

今日は素晴らしい青空。

エネルギーに満ちあふれています。

 

さて、今日は慈悲の瞑想をご紹介します。

 

 

 慈悲の瞑想

 

 私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

 

私の親しい人々が幸せでありますように

私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい人々の願いごとが叶えられますように

私の親しい人々にも悟りの光が現れますように

私の親しい人々が幸せでありますように(3回)

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願い事が叶えられますように

生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

 

私の嫌いな人々も幸せでありますように

私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

 

私を嫌っている人々も幸せでありますように

私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている人々の願いごとがかなえられますように

私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

 

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

 

 

やり方は簡単。

声に出してもいいし、黙想しても良いです。

(3回と書いているところは3回繰り返す)

自由にしていいと思います。

 

注意することは、

「私の嫌いな人々~と私を嫌っている人々~」の部分について、

違和感を感じるときには「私」や「私の親しい人々」に置き換えてください。

そして、違和感を感じる自分を決して評価しない、裁かないこれが大事だと思います。

人のこころはストップモーションではありません。

常に動きます。

「嫌いな人の幸せなんか願えないよ!」

という日もあります。

自然なことです。

ありのままのこころの状態を是非観察してみてくださいね。

 

では、また。

( ˘ω˘ )

 

 

 

ぱーふぇくとひゅーまん

こんにちは。

今日の札幌は曇り空。

 

曇りって好きですか?

きらいですか?

 

私、実は好きです。

躍動感あふれる青空も好きですが、

しっとりした曇り空は落ち着いた気持ちにさせてくれます。

 ( ˘ω˘ )

 

 

さて、パーフェクトな人ってどういう人のことを言うのでしょうか?

美しくてスタイルが良くて頭が良くて品がある女性?

イケメンでしまったボディで仕事ができて性格が良い男性?

 

他人の良い面を見て(羨望する)、自分の悪いところを見る(悲観する)傾向は誰にでもあると思います。

成長するためには必要な感覚なのかもしれません。

(過度にならなければ人間の素晴らしであるのかも)

でも、良い面と悪い面、両方あって人はパーフェクトなのだと思います。

 

例えば私の場合、好奇心、探求心が強く、好きなことには熱中します。

一方で飽きっぽく長続きしないという面もあります。

良い悪いではなく、どちらも私にはとても大切な特質なのだと思っています。

「好奇心が強い」というのは私の中ではアクセルです。

「飽きっぽい」はブレーキです。

両方揃って私が完成します。

 

バランスが時々危なくなるので練習中です。

 ('ω')ノ